山形県知事選での山形自民の独自候補「非擁立」は無策の結果? それとも意図的?

山形知事選に「無主張」は県民の恥ー政党の存在価値? 全国的にも目立ちすぎ! 「推薦断念」と「無主張」とは意味が違う!

「庄内地方」に背を向け、隣県にいい顔をする県内陸部中心の吉村美栄子県政に異議あり! 庄内地方の交通・物流の著しい遅れー速やかな対応を!

庄内地方の発展に目を向けよう!

これまで自民を支持してきた者として、次期知事選での自民山形県連の独自候補の「擁立断念」の決定には、大変失望しました。

改めて、なぜ政党が存在し、なぜ県知事と県議会議員の選挙に政党が関わる必要があるか、を考えてみる必要があります。中央で顔が売れているから良いというものではありません。

政党の存在意義は、政策や考え方を異にしていることで、その違いを明確にする者のグループ毎に政治団体、政策団体を結成していると考えます。

では、これまでの山形県知事と、山形県議会を構成する個々の県議会議員の県政や県議会での議論はどのように行われてきたのでしょうか?

現吉村知事は、無所属(政党に属さない)の立場であるのに反し、先日の参議院選挙では、「民進党」所属の立候補者を積極的に推薦し、実質同党推薦の選挙活動を行いました。自民党の立候補者を政敵に回したのです。現知事は、特定の政党に属さないという意味での「無所属」を表明した山形県知事なのですから、論理矛盾する行動と言わざるを得ません。

更に、自民党が、なぜ独自候補を擁立できなかったかを考えて見る必要があります。

私は、政策についての県知事、県議会議員段階での議論が十分行われているのだろうか、という点に関心を持っております。もし、県知事、各県議会議員との間で十分な議論が行われておれば、必然的に政策の違いを意味する「政党」等を意識しなければならない場が多くなると思います。

私は庄内地方住民が願う「庄内延伸新幹線化」に対抗する形で、「秋田延伸の山形新幹線フル規格化」運動を、自民党の遠藤利明衆議院議員と非自民で実質・民進党員の吉村美栄子山形県知事と、さらに報道機関の「山形新聞社」の3者がかなり強力に連携して活動していると見ておりました。私はこの3者関係を「三者連合」と呼び、「政党」を越えた一大政治勢力と見ておりました。その強固な連携の中では、自民党から県知事立候補者を立てることは、この「三者連合」関係を壊すことになり、この「三者連合」が存在している限りは、自民党から立候補者を立てることは元々無理だと感じておりました。この3者それぞれの持つ顔が、今はやりの言葉で言えば「ダイバシティ」(「多様性」)を備えていることが分かりました。単純な私にとっては、何ともわかりにくい三者の関係性です。「それぞれ固有の主義主張を持つ3者」からは、とても考えられない関係性だと思っております。

私には、難しい政治の話はわかりませんが、私は単純人間です。このブログの別の記事で書いているタイトル「陸の孤島 山形県庄内地方 為政者を選ぼう!」で書いているように、吉村知事が主導する県政が、庄内地方に背を向けた行政を行っているのではないかと私は感じています。議会や立候補の議論段階で、政策の違いを出してほしいのです。もっとも庄内地方選出の県議会議員が庄内地方に目を向けさせる議論に加わらなければ、政策の違いは明らかにならないでしょう。

こうした違いがわかる議論がなされることを希望します。そうでなければ政党の存在意義が問われます。山形自民が候補者を擁立できなかったのは、自民がこれまで違いがわかる推薦人物を育ててこなかったのも一因ではなかったかと思っています。黙っていることは決して良いことではないのです。

ニコニコ顔で、一見温厚そうに見える人たちが、実は私たちには分からないクローズドな場での実力発揮となりかねないと思うのです。東京・関東で名が売れることが、山形県民にどのように貢献しているのでしょうか? オリンピック委員会等の中央での活躍が地方での活動に支障を来すのであれば、何となく本末転倒の気がしますがいかがでしょう?

当時の自由民主党山形県支部連合会の会長だった遠藤利明氏の上記を原因とする態度不鮮明さが、自民党からの立候補環境を潰してしまったのではないかと思いますがいかがでしょうか?

自民党の盟主が、他党の候補者を実質推しては、自党からの推薦は成り立ちません。政党の連合会の会長までしていた人が、このような状況ではどうしようもありません。「建て前」と「本音」の世界となってしまうのでは? これが老練な政治家の行動パターンと言われるものでしょうか?